2017/05/10
七色畑に いもうとの つぶらな瞳が かわいいな♪ なんていい日なのでしょう。うふふ。私は、いつもこうして、日々是好日と日々が過ぎ去っていきます。有り難いことだなぁって、感謝しながらね。今日も、亀の子の機関紙の締め切りです。私のページも有りますので、そうだ、この春号は、緑の5月にふさわしい記事がいいなと思い、そのことを書くことにしました。と言いますのは、昨日のことです。しまねのお地蔵様作品展実行委員会代表の坪内正史氏が、わざわざ私を訪ねて来られました。チラシポスターを持ってです。その方は、石仏・石像彫刻師さんです。その方は、戦国時代から福光石の加工に従事していた坪内氏の子孫の方でした。凄いですね。だってね。あの大森の五百羅漢は、福光石でできているのですよ。すると、その坪内氏は、大田地方の石像や灯篭や墓石は、だいたい「福光石」ですからねぇ。ですって、もうびっくりぽん!でした。そんな凄い人に、「ふむふむ地蔵」さんを見てもらいました。そして、是非とも出展してくださいと言われてしまいました。もう、恥ずかしいやら、嬉しいやら、てんてこ舞いになってしまいました。そして、同じ長久にお住いの方にも、連絡してみました。すると、今、窯に火を焚いているので、30分後に来てくださいとの事。30分後にお邪魔してみました。というのは、私の小学校時代の親友が用田温泉でしたので、その跡地に構えているとのことでしたので、車で行ってみました。二十歳頃に行ったきりでしたので、その昔を辿りながら狭い道を行ってみました。昔の面影は、もうどこにもありません。山に囲まれたところに、その窯元があり、なんとも風情があり、「え!ここは、長久なの?」と、一瞬どこへ来てしまったかと思うほどである。またその窯元さんのお家も、自分が造ったと言われ、調度品もお手製の物ばかりである。その奥様は、なんと、私の親友の一番下の妹さんだったのだ。その窯元の方は、その昔、労働局にお勤めの方で、私の事もご存じの方で、これまた、びっくりでした。岩谷氏と名乗り、もともと、富山に居たけど、奥様のお里に引っ越してきたとの事。そして、その昔は陶芸ではなく、日本画の島根県の会長さんだったとか。いやはや、偉い人に出会うものだと、驚きだった。今は、身体を壊してからは。陶芸に進み、お地蔵さまも焼いているとの事でした。その昔が懐かしく、あれこれお話を伺うことができた。山間の小川は、綺麗な水がながれていた。夏には、蛍が飛び交うとか。笹ユリが咲くのですよ。と、沢山の水槽には、メダカがすいすい泳いでいました。その岩谷氏は、「たから保育園の子供さん達は、ここまで散歩に来られますよ。」って、「あぁ!いいなぁ。こんなところまで来るんだ。まぁ。お世話になっていたのですね。ありがとうございます。」なんか、私はとっても、いい気持になって帰って来たのです。