2016/09/21
ここ何日も雨は降り続きました。日々、「どんより~ぬ」でしたね。本当に昔の人は良いことを言っていましたね。
「止まない雨は無い」と言って、落ち込んだときや、苦しいときは、そうだそうだ今は、じっと落ち着いて受け入れていこう。きっと時間が経てば、雨は止む。そして、この苦しみから、解き放たれることがあると信じていましたね。私も、もう何十年も生きてきましたから、そんな苦しい時を、辛い時を、乗り越えてきたように思います。そして、「止まない雨は無い」とか「明けない夜は無い」とか、先人の言葉に励まされながら、生きてきたような気がしますね。だから、苦しみから、解放された時は、もう、暗い世の中から、バァーと、明るい世界に出たようで、心がとても解放されて、あぁ!自由なんだ。あぁ!私は私でいいんだぁ。なんて、思っていましたね。平成7年には、多目的ダム・三瓶ダムが完成し、三瓶線のくねくね道は、直線の二車線になりました。
特に、あの年は、私にとっては記念すべき年となった年ですので、よりそう思う私がいるかもしれませんね。そして、あの道を通るとき、いつも私の脳裏にはダカーポの「野に咲く花のように」の「トンネル抜ければ夏の海」のメロディーが流れていましたね。そして、ビューティフル・サンディーのメロディーも爽快に口ずさんでいましたね。
そして、心が迷ったり、困ったときには、直ぐに答えを出さない方法をとるようにしましたね。特に、このことは、論語の「四十にして惑わず」が頭にありましたね。それは、40歳になったときに、今までの自分は親を頼って生きてきたが、自分の顔は、自分が責任を持つことだ。40歳になって、道理も明らかになり自分の生き方に迷いがなくなり、動じない自分で居よう。なんて思っていましたね。そして、宮沢賢治の「雨にも負けず・風にも負けず・雪にも夏の暑さにも負けぬ・丈夫なからだをもち・慾はなく・決して怒らず・いつも静かに笑っている・・・・・」にも励まされた。その宮沢賢治は昭和8年9月21日に亡くなった。没37歳であった。本日が命日だったのですね。幕末の山岡鉄舟の名言も、私の十八番です。「晴れてよし 曇りてよし 富士の山 もとの姿は変わらざるなり」も、名言ですね。とかく、私たちは、いいとか。悪いとか。二者択一しがちですので、自分たちの都合のいいように、「雨だから駄目だとか、晴れだからいいとか。」決めてしまいます。そう思うと、現代人は、新自由主義な人間観の人々が多い気がしてなりません。山岡鉄舟にしても、宮沢賢治にしても明治の時代から昭和の時代に生きていた人達で、私たちにとっても、明治時代のお爺さまやお婆さまのことを、身近に知っています。せっかく私たちはこんなに素晴らしい人たちのDNAを受け継いでいます。そんな素晴らしい教えに出会いながら、生きていけることは素晴らしいことだと思います。
うふふ。明日は、秋分の日です。大田の町は、中日っあんと言って、彼岸市がでますよ。「明日!天気にな~れ!」ですね。