台風16号接近です。外は雨、風です。

2016/09/20

3連休もあっという間に終わりましたね。皆様はいかがお過ごしでしたか。うふふ。一人一人がみんな違いますね。小さい子どもの頃ならば、必ず、お母さんとお父さんが居ましたね。そして、弟か、妹か、お兄さんか、お姉さんが居ましたね。時々だけど、おじいちゃんかおばあちゃんも居ましたね。そして、それぞれが大人になって、親元から飛び立って行きましたね。だから、その途中では、友達だったり、恋人だったり、同僚だったりして、こんな大型連休は、それぞれに、計画して、楽しいことを考えていましたね。うふふ。私は、17日の土曜日は、理髪店に。そして、18日と19日は、我が家でした。お天気であれば、お庭の草むしりと思っていましたが、2日間は1日中雨でしたので、我が家でゆっくりと読書の時間でした。「創」の月刊10月号でしたので、じっくりと読み応えがありました。特に、今回相模原市の障がい者施設事件の特集で、精神科医の斉藤環氏の記事もなるほどなとうなずけることが多々あった。措置入院をめぐる誤った見方への異論だった。◎精神病院に収容すれば安全という根拠のない見方。◎精神医療でのクレイジーとマッドの違い、「障がい者は死ぬべき」という極端な思想はヘイトクライムです。精神医療ではクレイジーとマッドを分けるのですが、「人格があるのかね」-誤った義侠心や正義感の方に行ってしまう怖れがある。権利主義はバーターであると、人には生まれながらにして、いかなる条件の下に生まれ、いかなる生き方をしたとしても一定の尊厳と権利は擁護されるべきであるという天賊人権説の基本発想が日本には定着していません。ごく普通に生活している人々の中にも、「生きるに値する生」と「生きるに値しない生」があるというような間違った価値観を持っている人は非常に多い。間違った発想が根本にあるのではないかと思います。日本では先進国でありながら、病床数が多いこと、30万床以上の病床がある。世界ではダントツで世界一です。措置入院とは何なのかさえ曖昧のままでの議論です。日本精神科協会が政府にプレッシャーをかけています。諸外国は国公立だから、イタリアのように、精神病院をゼロにすることもできました。日本はその点、なかなかです。認定NPO法人DPI(障がい者インターナショナル)日本会議副議長をしておられる方でした。

「隔離から共生へ」という流れを壊してはいけない。日本の福祉政策は分離政策を中心に進めて来た歴史がある。家族に障がい者がいることを堂々と言えない社会でもあった。障がいのあるものを忌み嫌ってきた歴史的背景があった。

貧弱な障がい者観の背景には何が!「ひるむことなく」共生社会への歩みを。こう断言し発言されるのは、藤井克徳氏で、日本障がい者協議会代表の方です。根底にあった優勢思想と民族浄化思想、ヴァィツゼッカーの名言で、「過去に目をつむる者は現在においても盲目だ」フランク・シュナイダーの特別講演も本当は精神医学からもっと光を当てて欲しい思います。と、人権や障がいという観点から焦点を当てて欲しい。格差社会や不寛容社会、多様性排斥とか、強いものが幅をきかせるのと並行して人権意識が薄らいでいる。

障がい者政策をめぐっても、市場原理の影響を受けた規制緩和とか、成果主義、自己責任論などが色こく反映されています。

NHKプロデューサー熊田佳代子さんは、「戦後70年の日本の福祉を振り返る」と「障がい者と戦争」ですと、

一昨年のこと、「障害者虐待防止法」が施行されて3年になるという節目に知的障碍者施設で、虐待が相次いだ。なぜ。。

☆職員へのケアが足りないこと。☆社会や行政が施設に任せきり。☆施設も閉鎖的になっている。

「死にたい」のではなく「生きるのがつらい」 障がいのある人もない人も安心できる成熟した社会に向かいたいものです。

本当に、今までの日本社会は、本当に「臭いものには蓋をしろ」だった。そして、それがまかり通っていた。

本当に、賢きものは歴史から学び、愚か者は体験から学ぶだった。

でも、今回も小さな雑誌だったが、日本人にも、きちんと良識をもった方々がおられたことは、私にとって、嬉しいことだった。

その雑誌の中でも、私の存じている方がおられ、ほっとしたところです。