早朝、読書から始まり、そして散歩です。

2016/06/14

ちょっと、5時は早いかなと、青山俊薫先生の書物をめくると、いつもメンバーとの関わりで、「俺は本当は、こんな所へは通所したくないのだ。」家族の中にも、「この子は、こんな所へ来る子どもではないのですが。」と、言っている方達が、結構いらっしゃいます。私は、いつも「何故、どうして、だったら、どこへ行けばいいのかしら。」どうして、「こんなところ」と、見下してしまうのでしょう。と、いつも、頭を痛めていました。すると、この書物には、みごとに書いてありました。「私の自我中心の身勝手な思いが、私の中に十分に働いているのです。その我が儘な思いをはっきりと自覚すればこそ、ということは、自分のわがままの思いを知ることが必要なのです。自我への執心、相手のために、自分の都合をゆずることができない自己中心的な物の考え方なのです。」ふむふむ、と言うことは、その当事者や親は、本当の自分を自我中心と勘違いしていることになり、偽りの自分で生きて行こうとしていることになります。では、その偽りの自分で生きて行けば、その当事者は、「しあわせ」に行く方向になるのでしょうか。ここで、この書物は、こう書いてありました。

仏の愛と、慈悲は、悲の字を使うことの意味の深さを説かなければならないと。沢木興道老師(青山俊薫の師匠)は、「自分が自分で、自分を自分する」いやはや、私の仕事は、まだまだ、道半ばです。

そして、古来より、出会いは人生の宝と申しますが、、、、、と、続きます。

さぁ!6時です。早朝散歩にでかけます。 うふふ、今日の散歩は、ホトトギスがやかましいですよ。