2016/06/03
和田珍味の作業が来ていましたが、みんなですればあっという間に出来あがりです。本当に、メンバーは、手慣れたものです。畑作りが大好きなOさんに、お話を聞くことにしました。白い紙に、どんな風に野菜を作っているのか書いて貰うことにしました。A4の紙を3枚用意しました。1枚の紙から始まりです。キュウリを8本、茄子をここと、ここに。人参をここに蒔いて、チンゲン菜はこの間収穫して職員さんにあげたから、ここは、きれいにして、他の野菜を植えます。ジャガイモも秋ジャガイモと別々にイモを植えたし、大ネギもここに植えたし、小葱はこっちへ植えたし、ピーマンもここへ植えたし、A4の紙に一杯になり、続いて二枚になり、3枚になっていました。すると、隣から、「施設長さん見て貰いたいです」と、声がかかります。私は「待ってね。Oさんが終わってからね。すると、また他から声がかかります。私はOさんに、「今、ooさんから声がかかったから、この畑については、また教えて下さいね。」「はい。いいですよ」と、すると、「私の方が先だったわよ」あっ!そうだったわね。じぁ、先にKさんからね。「ふむふむと、写真を見せてもらいます。」「ありがとうね。」そして、最後に声をかけてくれたchさんと、お話をします。すると、涙がぽろぽろと、出ます。「なぜかな~」「どうしてかな~」だって、「施設長さんが言われることは分かっているつもりだもの」「私は、施設長さんとの会話に他人が出てくるって、言われるけど。なんで他人のことを出したらいけんの」「どうしてかな。私とchさんと二人で話しているのに、どうして他人を出して、お話をしようとするのかな」「人と、いつも比べているのかな。人が出てくると、本当の自分は引っ込むよね」それでは、人と人との関係性は成立しなくなります。人と人は、対等になって始めて、話し合いになります。例えば、「だれだれさんもして貰っているから、私もして貰いたいです」と、言うことになります。と言うことは、いつも、だれかの性にして、だれかに寄りかかって、して貰いたいと言うことになります。そして、もし、それが叶ったとしても、いとも簡単に、私はそがにして貰わんでも良かったのにと、不平不満を言うことになります。よく考えてみると、他人を出して会話をしたり、ものを貰ったりすると、いつも、自分の存在が人の影にいることになり、不満が貯まることになります。そして、その不安感を、「つもり」「だってね」「でもね」と、否定し、揚句には、ooしてあげた「のに」の「のに」が連発するようになります。
だから、本当の自分が出せず、苦しい思いをすることになります。しんどいです。その現れが、涙として出てくるのでしょうね。 本当に、人間様の体は、「ありのままに」生きることは、本当に自分自身と向き合っていないと、本物の自分に出会わないのかもしれませんね。摩訶不思議なことです。