2015/08/05
一人の命が昇天しました。パートナーの彼女が喪主役をちゃんと務めました。生前に彼はいつも言っていました。もう30年前の事、彼と彼女は精神科病院に入院していました。彼はあの当時(35歳位)、もう人生を諦めて施設入所で人生を終えたいと言っていた。その頃、彼は彼女と知り合い、彼女と共に退院して暮らしたいと希望を語る様になりました。彼女は不安いっぱいでしたが、先ず彼の方が先に退院しました。追って、彼女も退院し、1DKのアパートを隣通しで借りました。彼の1DKのアパートを荷物置きにし、住まいは彼女1DKで暮らし始めました。彼は働き者で、まじめに働き、稼いでいました。二人とも障害年金を受給していましたので、彼の方は、とてもおしゃれでしたので、いつも素敵に身なりを整えていました。彼女の方も、彼に感化され、とても素敵におしゃれを楽しんでいました。外に出ることが苦手でしたのに、彼に誘われて、ショッピングも楽しみ、外食もできるようになっていました。そんな彼と彼女は、時どき、私のお部屋を訪ねて来ては、お話をしてくれました。その話と言うのが、幸せについてでした。僕たちは、ご馳走ではなくても、お茶漬け一杯でも、彼女と食べることが出来れば、幸せです。と、そして、僕たちの小さな声を集めて、僕たちの代表として、市や県や国に言って欲しいとも言っていました。僕は最高なパートナーに出会えて本当に幸せ者でした。と、私にとって、彼の発言は、まさに当事者の本音ですので、いつも真摯に受けとめ、いつかは必ず実現させるぞと約束していました。彼と彼女は、仲間たちにも、大判ふるまいをしていました。亡くなる寸前までも、仲間に振る舞っていました。
昨年の夏に癌が見つかり、もう末期の状態でした。僕は畳の上で死にたい、そして、パートナーの傍で逝きたいと、言っていましたが、そのとおりになりました。彼の最後の希望が叶えられました。 彼の精一杯の生きざまは、あっ晴れで見事なものでした。
私も彼の生きざまを通して、「人として」どう人生を全うするのか、学ばせていただいたことになった。 統合失調症の前に、「人として」が、私の基盤にあることが、殊の外嬉しかった。
今朝の朝礼では、昨日の花火大会の事で盛り上がった。今年は、いつもの夏よりも、沢山の花火が打ちあがったようだ。
太鼓と花火は、実にいいものだ。心の闇を打ち払う、あの「大きな音」は、人間の小さなわだかまりを打ち払ってくれる。