2015/07/22
そして、7月22日(水)です。夏空かなと思いきや、どうも雨が降り始めました。「え!夕立」「にわか雨」ほんに、お天気も、今の日本の世情を比例するのでしょうか。やれやれです。昨日は、我が家では、施食会法要(施餓鬼法要)が無事に終了したところです。うふふ。私が嫁いでから、ずっと、この施食会法要をもう40年以上もさせていただいています。となると、私が知っている先代さん達に遡れば、100年はとっくの昔から、この施餓鬼法要は、執り行われていることになる。「わぁ!凄いなぁ。」と、感激です。私個人の気ままな自分勝手な思いを越えたところに存在するものだと、改めて思い至ったところです。
それも、施餓鬼法要は、専用の施餓鬼棚が準備されます。私が知ってからは、今の施餓鬼棚は、2代目に当たります。以前の棚は、沢山の塔婆が並べて作られていました。その塔婆には施主の名前が書いてあります。全て明治時代に生まれた方の名前でした。2代目は平成に成ってからのものです。仏具屋さんから求めたものです。その施餓鬼棚の正面には、三界万霊牌を置きます。そして、お供えに山の物、海の物をお供えします。両脇には、笹だけを挿し、夏のお花を供えます。施餓鬼器にてんこ盛りのご飯を円錐のように盛ります。真ん中に五色の施餓鬼旗を飾ります。天井には、大きな五色の短冊が、飾られます。 三界とは、私たちが生まれ変わり死に変わりすることであり、万霊とはありとあらゆる精霊のことですので、三界万霊牌はこの世のありとあらゆる精霊を合祀した位牌のことをいいます。我々の祖先は二十代遡ると実に百万人を超します。
それだけ多くの祖先の方々がこの世に生存していた間、現に私たちがそうであると同じように、数多くの人々と親しい交流をもたれたことであり、その数は数えきれないものでしょう。 これらの、我が家の先祖と親しい間柄にあった方々のすべてが子孫に恵まれておればよいのだが、すでに子孫が絶えて供養してもらえない精霊の数は実に多いのです。そうした恵まれない精霊を先祖と親しい間柄にあったご縁をもって供養してあげることは人間的にみて誠に奥ゆかしいことです。また、仏教では怨念平等といって敵味方共々に平等であるという立場から戦争の時など敵味方の分け隔てなく供養し、供養塔を建てたのであるが、残念ながらこんにちでは、そうしたおおらかさがなくなった。 せめて先祖供養と共に有無両縁の精霊に供養する施餓鬼の意義は、忘れたくないものです。