2015/03/26
今朝の早朝散歩は、-1度です。辺り一面真っ白な霜です。本当に、春はあけぼのですね。「枕草子」清少納言の春はあけぼの情景がそのものです。 春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲の ほそくたなびきたる。万葉の昔から、平成の今にも、つながっています。凄いですよね。綿々とつづく大和人のこころが受け継がれているとおもうと、ありがた愛おしいと思う。
今朝も朝礼で、昨日退所していった彼女の話をすることができた。なぜ退所しなければならなかったのか、きちんと説明をしなければ、メンバーは納得しないのだろうと。それには、ひとりひとりが、なぜ、亀の子を利用しているのか。と、言う「志し」が必要だと説明することができた。今日のメンバーの中に、「自分が何故、亀の子を利用しているのか。自分は何をしたいのか、自分は分からない」と、思う人は、手をあげてくださいと、問うと、4人のメンバーが手をあげた。
さて、ここで、考えてみよう。「自分は、この亀の子を利用して、元気になり、一般就労しよう。」と、考える人と、「何をしたらいいのか、よく分からんし、自分は何をしたいのかよう分からん」と、思う人では、どこが違ってくるのでしょう。そして、良く考えてみると、自分をきちんと大切に思っている人は、どちらに成るのでしょう。そして、自分の人生の主人公は自分だと、本当に気づいている人はどちらなのでしょう。と言うことは、自分の命の尊厳に、気づいている人は、自分を大切に思い、かけがえのない命だと、気づいています。ならば、その命を輝かすのは、自分しかいないことに気づいています。結局、自分は何をしたらいいのか分からないと、言って、投げ出す人は、自分を投げ出すことになり、自分を大切に思っていないことになります。
自己愛が育っていないことになります。自己愛がきちんと育った人は、自分が大好きになります。そして、自分のいいところがいっぱい発見できるはずです。そして、そんな自分をかけがえの命だと、気づきます。すると、相手の命も、かけがえのない命だと、気づきます。聖書マタイ伝には、自分を愛する様に、あなたの隣人を愛しなさいとある。
でも、現代社会の日本人は、自己愛がなかなか育ちにくい社会が形成されている。
その中で、当亀の子は、やっぱり、そこがベースにないと、人間関係が崩れていくような気がしてならない。
さぁ、これからも、新しい時代に向かって、「努力」を座右の銘にして、レッツ・ゴーです。