春はこころがうつろいますね。

2015/03/19

春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲の ほそくたなびきたる。「枕草子」清少納言です。古の平安時代でも、こうして季節のうつりかわりに、心を動かし、自然界の神秘に、人間の無常を感じていたのでしょうね。現代人も、もう少し、自然界の姿に学ぶことが大事なようです。  最近のメンバー達をみると、余計にそう感じる私がいます。特に、この日本は、四季に恵まれていますのに、「春・夏・秋・冬」を、こころをときめかせながら、待つことが、めっきり少なくなってきています。朝礼でも、春を感じますか?の問いにも、無関心なメンバーが出てきました。「僕には関係ない」「そんなもの知らんでもいい」「そんなこと知って、何の得になる」  悲しい実態が、どうも現実なようです。さぁ、遡(さかのぼ)って見よう。私が生まれた、戦後の時代は、何もなかった。何もなかったけど、でも、子ども達は、のびのびと、元気いっぱいだった。がき大将・わんぱく坊主・おてんば娘がごろごろいた。朝から晩まで、外の野山を駆け巡って遊んでいた。テレビもパソコンも何もない時代だった。でも、子ども達は底抜けに明るかった。時代は、急成長で発展してきた。いい時代を形成してきたことになる。戦後70年の時代は、ハイスピードで、時代を進んできたのかもしれない。本当は、そのスピードに「日本人のこころ」が、なかなか一緒についていけない状況もあったかもしれない。つづき。