2015/03/05
毎日の朝礼が始まる。某新人職員が、「施設長は、毎日の職員朝礼、全体朝礼で、また、終礼の時に、話のテーマが毎日、うんちくが違って話題豊富ですが、どうしてですか。不思議に思っていました」と、質問を受けました。
本当ですね。私の日々の話題は、その時その時で違いますね。例えば、本日ただ今に相応しい、一番当事者にとって、身近な関心ごとを話します。例えば、本日の場合では、昨日の夕方にあった、トラブルについてどう思うのか、お話します。何故、トラブルが起こったのか。そのトラブルは「とるに足らないものなのか」「とるに足るものか」のお話もします。と言うことは、「臭い物には蓋をしない」方式を徹底していきます。
トラブルの原因は、言葉一つでも、相手を傷つけ、怒らせてしまうことにもつながるからです。
特に、最近は、レッド・アドラー(フロイト、ユングと並ぶ心理学の三大巨頭の一人)の教えに学ぶことが多い、
すべての悩みは、対人関係の悩みでもあるからです。そのことに気づけば、「人はいま、この瞬間から幸せになることができる」と、言い切っています。
さて、では具体的に、当事者にどう説明するのかは、この私の課題です。
アドラー式に、このトラブルを考えれば、案外と道筋が見えてきます。
たった一つの言葉で、相手を傷つける。この一つの言葉は、誰でも、使う言葉でもある。不思議なことに、嫌いだと思っている人が、一つの言葉を発したときには、反応し興奮する。相手を好きだと思っている人が、一つの言葉を発したときには、反応せず、平然としておれる。 ここが実は問題な所です。
すべての悩みは、対人関係の悩みでもあるからです。
アドラー式に私が説明するならば、自分が好きになれないことは、最大の不幸だと気づくことができます。なぜならば、このかけがえのない命を、自分が否定してしまうことになるからです。このかけがえのない命を、まるごと、受け入れること、自己肯定ではなく、自己受容すること。それを過剰な自意識(自我、エゴ)が、自分にブレーキをかけます。自己への執着、こだわりが邪魔になり、変なプライドばかりが壁になってしまいます。さらには、敵対意識となり攻撃してしまいます。そうではなく、「自己への執着」を「他者への関心」に切り替えることが必要です。
ブレーキをかけず、ありのままの自分を出すことにより、相手を受け入れることになります。
それは、「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めることです。
「変えられるもの」に注目し、ありのままの「この私」を受け入れること。そして、変えられるものについては、変えていく「勇気」を持つこと。これが、自己受容です。
と言うような、お話を、私は、いつもしているかなぁと。ひとつの事が、だんだん大きくなり、集団になり、地域に社会に町に、国に、世界に、地球に、宇宙に広がっていきます。とても素敵な事だと思いませんか。