あぁ。日本人は、いかに、お人よしで「お馬鹿さん」だったのか、知ることになりました。

2020/10/23

私は、子供のころから、「本物」を見てからでないと、物事が信じられない性分だったようだ。子供のころから、それも5才のころからだと思う。我が家には、「あんちゃんがいた。」(あんちゃんは父の弟で、今で言う知的障がいであった。)上皇陛下と同い年なのです。母から、「あんちゃんは、我が家の宝だからな。近くのおばさんやおじさんが、「バカだ。アホだ。」と、言っても、相手にしてはいけません。」私が5才でしたので、あんちゃんは、18歳でした。だから、私が18才の時、あんちゃんは、31才でした。私が中学生の時、近所のおばさん、おじさんが、あんちゃんを、せがらかしていました。今で言う中傷していました。「あんちゃん。もうそろそろ、年頃だけ、結婚せな。」と。思春期の多感な中学生でしたから、その時は、むきになって、「おばさん。そがな事を言うもんではないでね。」と、注意していました。私の妹が、未だ結婚していないのに、彼のいるアフリカに行きたいと言い出し、母は困っていました。その時に、母のお里の母親(おばあちゃんに)に相談に行きました。すると、明治生まれの祖母は、「若い時は、今しかない。行かせてやりなさい。」と。妹は、アフリカのアビジャンまでの片道切符代金をもらって、旅立って行きました。どうも、我が家の家系は、とても先進的な思考を持っていたようです。両親も、父親は戦地から復員後、母と結婚し、現在山陰道の工事が入っている「上の山」を戦後、直ぐに開墾し、20世紀梨の栽培をしました。それを20年間やり、次には昭和40年に入り、葡萄の栽培をしだした。その時の母親のエピソードがある。あの当時、農協の女性普及員が、ブドウ園を尋ねて来られた。「まぁ。大変ですねぇ。ご苦労様です。」と、声を掛けられたという。母親は、すかさず、「何を言っているかね。大変で、ご苦労様なら、葡萄づくりなんか、しませんわね。一生懸命、世話して、美味しい葡萄ができると、嬉しくてたまりませんわね。」その後、母は、変な農協の普及員さんが来ちゃったでと、笑っていました。お寺さんの、説教にも、そんな、話がありましたね。「この頃、畑や田んぼで、働いている人に、「ご苦労様です。」と、声を掛ける人がいますが、おかしなことです。以前は、「精が出ますな。」と、声を掛けたものです」

私は、そんな、環境で育ちましたので、いつも、真実は、本物は、本心は、本当は、と、「根っこ」を見極めようと思ってきました。

実は、このコロナ禍で、戦後の教育を受けたもの全てが、日本の真実の歴史をしっかり検証せずに来てしまった、いまつけが回っているのだと、気づくことが出来ました。お隣の中国さん。韓国さん。北朝鮮さんからいいように、侮られてきたということが、はっきりと分りました。日本は、国際社会で、いいように侮られていることが、明確にわかったところです。

一人一人の国民が、目覚めて、しっかりと、自立する時代の到来です。気づいていない方は、どうぞ気づいてくださいね。