2025/05/09
私は、5月2日からお休みをいただきましたので、5月6日までの5日間のお休みでした。5日間もありますので、一応計画通りに、九州のお姉さまのお顔を拝見に、そして、そのまま下関のグランドホテルへ夕方着いて、そのホテルで泊まります。翌朝9時にホテルを出発します。すると、高速道路は、昨日と比べて、車の走る数が倍増です。美東ジャンクションから、萩方面に出ます。そして、阿武町~阿東町~須佐を通り、益田に入ります。途中の道の駅に寄ります。すると、駐車場は、一杯です。道の駅のお店も、行列が並んでいます。しかし、凄いですね。車でどこへでも行けますからね。浜田を通過し、大田市へ、JAグリーンにて、茄子と、胡瓜とトマトの苗を求め、我が家に直行です。午後4時に到着しました。そして、5月4日は、我が家を駐車場にと、北三瓶メイメイ会議ということで、昔の本能美のお屋敷で、笠木さんの、羊毛作品の展示があり、出かけました。お天気も良くて、北三瓶の里山の美しいこと。午前中は、野菜の苗を、植え付けました。そして、竹の子も生えていたので、竹の子も収穫です。夕方には、竹の子の煮しめもして、旬を楽しみます。
そして5月5日の子どもの日です。孫達も大きくなり、鯉のぼりも、今はもう出しません。この時期は、隠岐シャクナゲがとても、見事に咲きます。ちょうど、我が家の前の家には、その見事なシャクナゲが、咲くのです。そのお花を見に行きます。すると、その家から声が聞こえます。どなたかと、お声を掛けました。とても、懐かしい、その家の親戚の方でした。そして、家に帰ると、お里の弟のお嫁さんが来てくれました。「あぁら。お姉さん。今日は、私たちだけで、羊さん見てくるから、案内は要らないですよ。」分かった、じぁ。帰りに寄ってね。
お昼過ぎに、メイメイ会議に行き、帰って来られました。すると、「お姉さん、上がらずに、このまま帰ります。」と、結局その彼女からは、「こだま学園を見て、東の原を通って、西の原を見て、帰りましたよ。とっても楽しかったです」と、LINEをくれました。私は、子どもの日だからと、我が庭の、白い鉄線、雪間草、十二単衣、都忘れ、スズランを摘んで、小鉢に活けて、楽しんでいました。すると、4時過ぎでしたが、Iさんから、電話がありました。「森山さん。とうとう、Aさんが亡くなられましたので、お知らせしときます。」と。実は、私の魂の友「ソウルメイト」の方だったのです。私は、もう。ショックでした。慌ててしまいます。「そうだ。びっくり見舞いに行こう。」と決め、そして、摘んできた茶花を大慌てで、包んみ、衣服を着て、びっくり見舞い行きました。
5月6日は、お通夜だったのですが、失礼して、5月7日の葬儀に行きました。その彼女は独り身でしたので、もう、既に、お寺さんと相談済みでした。なので、自宅で、ほんの知り合いだけのお葬儀でした。びっくり見舞いに行った時の、お花も、供えてありました。実は、私は、彼女とは摩訶不思議なご縁をいただいた方でしたので、お別れの言葉として、弔辞をしたためていましたので、葬儀の時に、その弔辞を読むことが出来ました。
あぁ。彼女は実に、凛とした生きざまだったなぁと、お別れの言葉として、したためたところです。
本当に、私にとって、この5月の連休も、かけがえのない日々だったなぁと、感慨にふけった処です。