2025/04/07
でも、この日本人資質とは、日本人が当たり前に持ち備えている物でした。
それは、子どもの頃から、いろはかるた歌留多が有ったり、沢山の諺が溢れていた。「旅は道連れ世は情け」「袖すりあうのも多生の縁」「知らぬが仏」「笑う門には福来る」「「七転び八起き」「失敗は成功の基」「清濁併せ吞む」(心が広く、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる)・禅宗では「かまど口」と言っていました。~かまどは、何でもかでも受け入れる。~来るもの拒まず去る者は追わず。~当法人も、この精神でやってきました。設立当初は、色んな人が来られていました。攻撃的な人、文句を言う人、ケチをつける人、いちゃもんをつける人、当初は一つ一つ丁寧に、受け答えをして、接してきました。数年は続きましたが、いつの間にか、批判したり、揶揄したりする人は、いなくなりました。ということは、この「社福亀の子」がどういうところかが一人一人納得し、理解ができたのだと思われる。ということは、知らなかったけど、知ることに成って、「成るほど」と、合点できたことに成り、認知出来たのだと思える。私は、思います。「無知の知」だなぁと、思いました。
特に、今の日本人は、「無知の知」がとても、難しかったのです。と言うのは、「知らないよ」ということが、とても言えないのです。だから、「知ったかぶり」をします。「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」のことわざもあります。そして、戦後教育を受けて来た私たちは、どうも、アメリカの合理主義、効率主義と、不便なものを便利にと、追求しすぎて来て、大事なものを失ってきたように思います。そして、結果主義が先行してきたように思います。だから、今の日本人は、「承認欲求」が強い人が多くいます。~自分を見て欲しい。話を聞いて欲しい。誰かに褒めて欲しい。他者から認めて欲しい。この壺に入ってしまうと、広い世界が見えなくなり、結局、今の社会の現状が俯瞰的にみえなくなってしまいます。となると、何故こうなったのかを知ることが大切なのですが、ドツボに嵌まりますので、なかなか、世界が見えなくなります。
結局、承認欲求は、自己愛が育っていないことに気づきます。ドツボに嵌まっても、「あれっ。一体勿体、この私は、誰に認めて貰いたいの❔と、気づくことなのです。」「あっ。他者に褒めてもらわなくても、自分を自分が褒めればいいなぁ。」と、気づくことによって、自己肯定感ができて、かけがえのない自分なんだということに、納得するのです。この状態は、実は、日本人がもともと、持ち備えている、自尊心なのです。そして、命の尊厳なのです。そのことを、日本人はちゃんと、DNAで、受け継がれています。