2025/04/02
底なし=「絶対無」~死の自覚~「生きることは理不尽」日常の底を生きる。なるほどなぁと、合点します。と言うのは、実は明治生まれの大祖母が、お正月にいつも、言っていました。その意味が分かったのです。大祖母は、「あけましておめでとうございます。親死ね・子死ね・孫死ね」と言っていました。それは、この世は、生老病死は、順番通りに行かないかからね。おまじないだよ。と言っていました。
そして、今日は久しぶりに、「桜の花が咲いたから、施設長さんに会いに行きます。いいでしょうか。」と、電話がかかってきました。「今日は大丈夫よ。」と、待っていました。すると、彼女は、颯爽とやって来られました。頭を散髪して、ショートカットですっきりして、服装も春めいて素敵でした。そして、彼女のおしゃべりが始まります。
「あのね。診察の時に、私のノート3冊を見てもらうのよ。」と、「じゃあ。私にも見せてね。」と、とうとう1冊は、私に預けますと言われ、預かることになりました。何やかやと、楽しいおしゃべりをします。
しかし、嬉しいものですね。彼女は、日々の暮らしの日記をしたためているのです。新聞の切り抜きの中村元の「慈しみの心」も、貼ってあります。そして、お母さまが書かれた養生訓も貼っておられます。
なんか、素敵だなぁと、感心します。そして、彼女が帰った後、私は1冊の彼女の日誌を見せて貰います。コメントを書いてもいいか許しを貰いましたので、コメントもしたためたところです。そして、お母さまの養生訓も読ませて貰いました。なんと、それは徳川家康公の東照宮公御遺訓(とうしょうこうごいくん)だったのです。
【 人の一生は重荷を負うて遠き 道をゆくが如し いそぐべからず 不自由を常とおもへば不足なし こころに望みおこらば困窮したる 時を思ひ出すべし 堪忍は無事 長久(ちょうきゅう)の基 いかりは敵とおもへ 勝事ばかり知りてまくる事を知らざれば 害其身にいたる おのれを責めて人をせむるな 及ばざるは過ぎたるよりまさるなり 】いやはや、今の令和の現代人は、反省しきりです。あぁ。「今だけ・自分だけ・金だけ」に染まった現代人の多い事。戦後80年経ちました。もう。そろそろ目を覚ましましょう。