2024/12/18
私は、ここ最近、この先生のお話が、不思議と、私の脳裏にスイスイと、心地よく入ってくる。何冊か「書物」も読んだ。つい最近は、真っ黒の表紙に日輪が描かれている書物「天皇」を読んだ。それにも、感動した。
「陛下の無私の祈りに日本は何度も救われた」学校では教えてくれない「天皇の現代史」の真実。私は最近、日本の学校教育も、とんでもない方向に行っているように思う。少子化問題で、子ども達は、極力減少の一途です。。我が大田市でも、小学校の統廃合が、進んでいます。こんなに小さな大田市でも、不登校の子ども達は沢山います。おかしいです。日本列島の小学校、中学校、高等学校となると、不登校の子ども達は、もう、凄いです。
なぜ、こんなことになったのでしょうかね。私は思います。終戦にGHQがやってきて、教育勅語を取り上げて、「教育基本法」を日教組が作ったのです。教育制度を換えてしまったのです。だから、骨抜きにされた教員が、この日本の学校を創ったのです。この「骨抜き」とは、「天皇」を無視したのです。
私は思います。子ども達は、「骨抜き教員」を実は、子ども達の「もともと持っている感性(ありのままの感性)」は、実は敏感に反応して、シグナル(サイン)を出しているのだ思われます。だから、学校へ行きたくないのだと思われます。特に今の教員は、20歳から65歳だとすれば、平成11年生まれから昭和35年生まれとなる。となると、全く、本当の歴史を学んでいないことになる、となると、「骨抜き教員」は、必然的です。
面白いでしょ。実はこの矢作直樹先生は、1956年生まれなのですが、両親が大正生まれなのです。私は、ここで、納得しました。私も両親が大正生まれなのです。そこで、先生は、大正時代までの「死生観」を見ると、昭和生まれの人との「死生観」が違うのです。それは、大正生まれの人の「生き方・考え方」が大きく違います。厳しい戦いを生き抜いた方達の共通しているのは、生まれてきたら、生活の中に「死」は身近にあったし、感じていた。結核も腸チフスも身近にあり、誰もが普通になくなっていた。一寸先が闇だった。だから、余計に日々の暮らしを感謝していた。あの時代は、「閉塞感」は無かった。実は、明治生まれの大祖母は、お正月に、いつも言っていましたね。「明けましておめでとうございます。爺死ね、婆死ね、父死ね、母死ね、そして、子死ね」と、言っていましたね。私は縁起でもないと、怒っていましたら、「登美子さん、この死ばかりは、順番には、行かないものなのです。なので、これは、おまじないですよ。」と、聞かされました。と言う、大祖母は、夫を若くして亡くし、そして、養子に貰った息子も、戦争で戦死していたのです。私は、「なるほどなぁ」と、合点したところです。
では、現代人は、何に気を付ければいいのかですが、メディアリテラシィを吟味することですと、メディアリテラシィとは、自分の目で情報ををしっかりと、吟味することです。手に入れた情報を鵜呑みにせず、自ら考えるスキルのことです。メディアとは、新聞・雑誌・テレビ・ラジオの4大マスメディアです。
誤情報への対応能力・印象操作への対応能力・プライバシィー情報のトラブルを未然に防ぐ
だいたい、オールメディアは明るいニュースは、流さないから、気よ付けて見よう。俯瞰的に、合理的に判断して、勇気をもって判断することです。現代の今は「人間の民度」が低いので、気よ付けましょう。今の時代は、強制的に洗脳されている。そこを一人一人が気づいて行くことです。
「自助・共助・公助」
「公助」を縮小するには、国民が自立することです。予防的な方面に行く、頼らない。自分の身は自分で守る。
「自助」が重要~一人一人の心がけが変わる。遠い先ではなく、今の今を、そして、そろそろ自分を解放させる。
他者を見て、自分を見ることを、比べることに意識を向けないことだ。優劣、上下ではなく、組織も社会も同じだ。
一人一人の存在意義を大事にすることだ。「情報も誰かのエゴかも」と、自分の心構えが大切です。「無知の知」を自覚することです。科学は、限られた追求方法なので、違うこともある。常に謙虚であることが大切です。