2024/12/17
その昔、「降る雪や 明治は遠く なりにけり」~この俳句は、昭和6年、作者は30歳のときに読まれたものと考えられます。この俳句の意味は、「雪が降ってきた。その時小学生たちが外套をきて外へ飛び出していく。自分が小学生の時である明治時代にいるような気持になったが、その時からもう20年も経っているのかと、しみじみ痛感した。明治と言う時代は過ぎ去り、大正、昭和と時代が進むごとにどんどんと活気に溢れていく街。そんな様子を見て、作者は明治という時代が遠くなってしまったことに少し寂しさを覚えたのでしょう。
この私は、明治生まれの大祖父母と、出会い、大正生まれの両親の子どもとして誕生した。嫁に行っても、夫の大祖母もいた。明治生まれの大祖父は、亡くなっていた。その子供は大正生まれで、その大正生まれの母親から、夫となる人は、昭和20年生まれだった。実父は、戦争に行き、ルソン島で戦死してしまった。夫は「忘れ形見」となった。お寺ということで、忘れ形見が成長するまで、僧籍を維持するということで、九州より、その僧籍を守って下さった僧侶が来られた。その「忘れ形見」が成人し、私が嫁ぐことになった。だから、昭和生まれと言われても、大東亜戦争は、強烈だった。なので、昭和生まれでも、戦前うまれと、戦後生まれに、強烈な違いがあった。
戦後生まれは、昭和20年(1954)~昭和64年(1989)の今の年齢で言えば(37歳~80歳と言える)そして、平成生まれは、1989年~平成31年(2019年)ですので、36歳~7歳と言えます。
我が家でも、孫達は平成生まれです。だから、私は、孫達に、明治生まれのご先祖さまのことを話します。大正生まれのおばぁちゃんにも、孫達は出会っていますので、その話もします。お盆にはお墓参りもしますので、我が家のご先祖さまのお話をします。孫達は、とても興味深々ですので、私は、とても嬉しくて、やっぱり日本人だなぁと、ちゃんと遺伝子がつながっているなぁと、感動します。
私が、とても心配していることは、戦後生まれの私たちは、昭和20年の終戦にて、アメリカの連合軍【GHQ】が占領政策により、「憲法」も教育も、文化も、書物も、新聞も、報道も、天皇陛下も、神道も、思想も、洗脳されてしまいました。マルクス主義が旺盛となり、共産主義となり、学校教育も、6・3・3制となり、飛び級も無くなり、教育勅語も無くなり、新しい教育基本法がまかり通った。競争社会がまかり通り、何でもかでも、批判主義者が出て来た。しかし、戦後から、80年が経過してきたが、この令和になって、「日本人」の本当の生きざまは、何だったのか。がどうも見えてきたようだ。私が小学校の時のクラスの標語に、「一人でも困った人がいれば、みんなで助け合おう。廊下にゴミが落ちていれば進んで拾おう。そんな僕たち君たちのクラスはみんななかよしだ。」どうだろう。今の学校は、どうも、全国的にも、不登校児が沢山出ている。そして、先生になり手がいないと言う。 私は思う。今の学校の、教育基本法がおかしいということだと言える。しかし、そのことを言う人がいない。私は言う。可笑しいよ。と、声を大きくして言いたい。