今日は、葬儀に行ってきました。

2020/04/03

亀の子工房を利用していたWさんが、病院にて療養しておられましたが、とうとう、亡くなられました。Wさんは、とても気丈な方で、時々、工房へ「元気になったら、行きま~す。」と、電話をかけてくれていました。実は、昨年の夏ごろに、医師からは、あと半年位ですと、宣告されておられました。しかし、体の調子がいい時は、亀の子工房へずっと、通所しておられました。Wさんは「私は、ここへ来ると元気になるのですよ。」と、笑顔で答えてくれていました。私達は、いつも、「無理しないでね。」と、声をかけていました。一緒に利用していたメンバーも、びっくりでした。私はお葬式に出かけてきました。葬式での祭壇には、遺影が飾ってありました。液晶ディスプレイですので、生前のWさんの元気な姿が映っていましたし、バックには、桜の花が映っていました。お寺さんも三人の僧侶と、伴奏の僧侶と、随喜の僧侶さんでしたので、とても荘厳なお葬式でした。導師のお寺さんの香語が、とても印象的でした。彼女Wさんが、「ふむふむ」と、うなずいているようでした。Wさんのかわいいお孫さん達も、かわいいお手手で、焼香をして、命の継承が出来ているなぁと、ほっとしたところでした。

そして、亀の子へ帰り、戦後75年経っても、反日メディアに翻弄させられ、「愛国心」を失ってしまった日本人って、何だろうと、気になって仕方なかった。産経新聞に勤めていた、ジャーナリストの上島喜朗氏のネットを見ることができた。

あぁ。なるほどと、今まで疑問に感じていたことが、霧が晴れたように、すっくりと、合点が行き、納得できた。またその表現がなるほどと合点だった。今の世の中の言語空間は、「鏡張りの部屋で、観念だけが、飛び交い、外の世界とはかけ離れている。」そ霧れは、戦後75年経った現在も、続いている。私は、ここで、成程、我々は、言語空間の中で、知らず知らずの内に、自分自身の考え思いまで、①現行憲法(空想的平和・憲法9条) ②日米安保条約(現実的武力の担保)③教育基本法(帰属意識の希薄化・愛国心忌避)いやぁ。納得です。そして、私は昭和生まれですので、卒業式には、「蛍の光」を謳いました。1番から4番まであったのです。明治時代にできた歌でしたね。戦後は、3番と4番は謳わなくなったのです。「われは海の子」も明治時代にできた歌でしたが、実は、7番まであったのです。戦後は3番までしか歌いませんでした。そうなんです。終戦の時、GHQにより、削除されていたのです。今、それを開いてみると、日本の愛国心が溢れているのです。私は、これだけ聞いただけでも、言論の自由を束縛され、思考停止を余儀なくされていたのだなぁと、悲しく思います。明治生まれの祖父母や、大正生まれの両親は、さぞかし辛かっただろうなぁと、思います。

それでも、私は、身近に、そんな先代たちに囲まれて育ちましたので、もしかして、気づくのが早かったのかもしれません。となると、今の現代人は、まだまだ、気づかない国民が数多いることになります。

さぁ。気づきましたよ。私は、これから、堂々と、覚醒しましょうと、言うことにします。

「鏡張りの部屋を打ち破って、現実の世界を見ることにします」そして、事実をきちんと認識し、本当の自由な思考に、そして、素晴らしい日本の精神を、先人達に感謝し、きちんと未来の子供達へも伝えていきます。