浜田道を通り、大朝で降り道の駅瑞穂によります。

2020/01/25

道の駅瑞穂によると、ホットしますね。「よう来んさったなぁ。」と、聞くと👂あぁ、島根県に入ったなぁと感じ、帰ってきたと実感します。そして、いつもの景色がなんともいいものですね。江川沿いを走り、遠い向こうに三瓶山が見えてくると、「アァ、帰った。」と安堵し、あの三瓶山さんの裏側が我が家だなぁと。今の世の中、こうして車でどこでもいける。とんと昔は、明治生まれの祖母や、大正生まれの母達は、この江川を舟で往来していたとか。昭和の時代といっても、昭和30年代(はてな)三江線は三好から江津まで開通した。しかし、平成の終わりに、この三江線は幕を閉じた。時代の流れを感じる事ができる。そんな事を思いながら我が家に到着です。我が家は、やっぱり落ち着きますね。広島のそごうの紀伊国屋書店で沢山買ってきた本の中に、坂東眞理子さんの「70歳のたしなみ」を求めていたので、パラパラとめくります。この坂東眞理子さんは、1946年生まれという事は、昭和21年生まれなのです。面白い記事が載っていました。70歳。気を張る、機会をつくる。昔は、田舎では「お嫁さんが来ると姑に嫁力(よめちから)がつく」という言葉があった。ヨメヂカラとは何か。三世代同居の時代の話だが、長男に嫁を迎えるとお姑さんがシャキッとするという現象である。家族の中にお嫁さんという他人が来る、そのお嫁さんに敬意を払われしっかり家に溶け込んでもらうには姑たるもの、ぼんやりしておれないと気を張る事で、体調もよくなり、活力が湧いてくるという事だ。現代では家庭に家族以外の人がいて生活を共にするということがほとんどない。しかし、昔は一つ屋根の下でお嫁さんとお舅さん、時には小姑やお手伝いさんもいて、家の中でもだらしない生活はできなかった。個室も十分確保されず、寝るときも大きな部屋で何人かが布団を並べて一緒に寝た。食事はもちろんみんな揃って食べる。お祭りや法事には親類が何人も来るのをもてなす。お姑さんにとっても、お嫁さんにとっても家庭はプライベートなくつろぎの場ではなくパブリックな場で、しっかり振る舞い、働いて「いいところ」を見せる職場でもあった。しかし、20世紀後半の経済成長の時代、都市化が進みいつの間にか大家族は核家族に分解し、さらに家族の中で子どもも夫婦もそれぞれの部屋を持ち、お客が来て泊まることもなくなり、他人が家庭に来て食事を共にすることもほとんどなくなった。家全体が個室ならぬ個家になったのである。うふふ。我が家は、お寺でもありますので、ちょっとだけ違いはするものの、時代は変わりましたね。今の70歳以下はそうした生活が当たり前と思っています。自宅は全てプライベートな空間、職場や公共の場はパブリックな空間。したがって退職して家にいると、プライベートな場だけで生活する事になり、気を張る時間もなくなり、ともすれば一年中だらしない態度や服装で過ごすことになる。ここがやばい事になります。「歳をとったら気を使わず、気ままに過ごすと言っている人は、気の張りをなくし、心も体もたるんでいってしまう。アァ!怖いですね。「さぁ、しゃっきり気を張って毎日を過ごすことが大切ですね。」