今日の日めくり「天は自ら助くる者を助く」です。

2019/11/09

アメリカのフランクリン🇺🇸1706〜1790年(政治家科学者)古今東西には、こうして、地球🌏に誕生した、先人達の教えが今に伝えています。我が国においても、その歴史は長い、令和元年の天皇陛下即位祝賀パレード「祝賀御列(おんれつ)の儀」が明日10日に迫った。それにしても、我が国の成り立ちには、年を重ねて来たせいだろうか、より興味が増してきた。私の町、大田市でも、高速道路が出来るということで、ちょうど亀の子 から日本海側の山の手は、尾の上の山はえぐられて凄い事になっている。あの尾の上の山に、縄文時代の遺跡が発見されたと言う。私が子供の頃には、あの尾の上の山は、父親が開墾して、20世紀梨🍐を生産していた。父親は復員してからだから、1947(昭和22)頃に、山を開墾し、20世紀梨の苗を植えたのだろう。小学生の頃は、あの尾の上の(おのえのやま)へ、何度も上がった。車は未だなかった。だから、リヤカーに木のりんご箱を積んで、何度も往復していた。梨の木は、子どもながらに、沢山植えてあったので、春には梨の白い花が咲き、綺麗だった。花が終わると、小さな青い実がなる。その青い実を、両親は剪定していた。剪定が終わると、近所のおばさん達に手伝ってもらって、一つ一つの青い実に、袋掛けをしてもらっていた。私たちは、その袋を作る手伝いをしていた。新聞紙を梨袋の型紙に裁断して、何枚も重ねて、糊をつけて、一斉に大量に梨袋を作った。この梨袋も後になって、市販のが出るようになっていた。小学生の頃は、リヤカーに、ご飯釜や、お鍋を乗せて、尾の上の山で、石を積んで、かまどを作って、ご飯を炊いたり、味噌汁を作ていた。子供ながらに、楽しかった思い出が蘇る。水も、湧き水があり、その湧き水を利用した。あの頃は、確か水田もあった。確か、お墓もあったような気がする。しかし、今現在は、梨畑も、水田も、お墓もなく、尾の上の山は、木に覆われている。その山の木が伐採され、縄文時代の遺跡が出てきた。太古の昔の大和の国なのである。どうも、日本列島には、こうした、縄文時代の遺跡が、あちらこちらから出て来ている。面白いのは、縄文時代の土器が面白い。私は、あの土偶がとても気になる。大きなおっぱいと大きなおなかの形がとても面白い。私は、今、「ふむふむ地蔵さま」を作っているので、より、そう思うのかもしれない。そして、縄文時代とも繋がっていると思うと、より、その生命のつながりを感じます。そう思うと、この生命は、未来永劫に続くのだと思う。しかし、人間の一生は、せいぜい100年だか、魂は不滅だと言う。私は、そう思う時、私が、亀の子 を興す時に、両親は、「あの土地は、仏様からお借りして、自分達が稲を作らせてもらった。あなた達が、あの土地を有効活用するならば、仏様にお返しするまでだ。大事に、命をかけて耕せよ。」と、快く譲ってくれた。今思うに、私たちの命も、たまたま、この世に誕生させてもらい、仮の命を100年頂いていることになるのではないかと、今頃気づいた。だから、「天は自ら助くる者を助く」になるのではないかと。しかし、なかなか、煩悩の多い人間さまは、まだまだのようだ。私も、心して、「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとや生まれけむ」で、あるがままで行くとしましょう。