おはようございます😃🌞広島にて滞在しています。

2019/07/17

今朝は早朝から、広島市民病院に来ています。亭主の相棒の手術日なのです。もう、亭主の相棒は、ご機嫌が上々なのです。昨夜は実によく寝れた。腹の調子もいいし、「今日はいよいよ出陣式だ❗️」なんてね。手術室に向かいました。私は術後の説明番号をもらい、待機していてくださいとの事です。だから、個室にて待つ事になりました。まぁ!おかげさまで、こうして、亀の子 のつぶやきに、つぶやく事ができています。よ〜く考えてみれば、案外、人間さまって、「煩悩」の塊りだから、どうしても、「我利我利亡者」になってしまいます。そんな時に、「主観的になっていないか」と、冷静になって自己を観る眼が、書くことによって、養われてくるような気がしてならない。「小説は事実より奇なり」そして、この事は、実は禅語の中にあふれている。我が家が、お寺であったせいか、寺院だまりには、襖にも禅師様の書が表装してある。そして修証議のお経の第1章には、「生を諦め死を諦めは、仏家一大事の因縁なり。…生死の中に仏あれば生死なし。…」今回、亭主(相棒)の、大腸癌の告知についても、亭主は、事実をありのままに受け入れ、何を一番に優先すべきかを考えていた。私は、さすがだなぁと、感心しました。小さい頃から、お寺の子として、生まれてきています。それも、父親は大東亜戦争で南方で戦死しています。忘れ形見として成長して来ています。私が嫁として嫁いだ時には、10年後には、本堂を建てるからな!と豪語していましたが、丁度10年後には、本堂を建設しました。この時も、思いました。人間さまって、凄いなぁ!「念ずれば花開く」は、本当だなぁと、感心した事がありました。

「諦観」を子どもの頃から、持ち備えているようです。だから、私も、いつも学ばせて頂いているのだなぁと感じています。

⭐︎物事など入念によく見ること、本質をはっきりと見極めること、事態を察すること。

⭐︎真理を観る。道理を観る。となり、「つまびらかにする」「明らかにする」

⭐︎物事の因果の道理を明らかに見る。何か悪いことが起こったり、叶えたいことが叶わないことに対して「なぜその事が起こったのか」「叶わないことに何か意味があるのではないか」「叶える事のできない自分とは何か」と物事のすべての原因を明らかに見る事です。

⭐︎諦めるとは、物事への執着を捨てて悟りを開く、迷いや悩みがある場合に、その本質を見極め理解を深める。

⭐︎悩みから解放されるためには、執着から離れること、要するに(諦めること)が必要です。もともと、本来は、とても前向きな意味でした。

ここで、とんと昔を思い出しました。私たち夫婦が仲人をした時です。

結婚とはなんぞやの問いに、亭主は、こう答えていました。その答え、「結婚とは、諦めだ❣️」、その時私は、ようこそ、やっと諦めてくれたと、大喜びした事を思い出しました。うふふ。面白いでしょ🤣    そろそろ、九州の姉さんが広島駅に着きます。