生きる意味は、いったい何だろうと、またまた、頭をかかえます。

2019/05/14

私は、20年前、30年前の精神保健医療福祉の社会資源の事を、時々想い起します。あの頃は、法の整備もなく、谷間に存在しているようでした。沢山のメンバーも「人に非ず」と、もろに人権侵害を受けていた。しかし、時代は着実に、いい方向に向いてきた。法の整備がなされ、支援体制も整備され、関係機関との連携もソーシャルネットワークが整備されてきた。20年前、30年前は、メンバーは、点として、存在し、病院も点であったし、市役所も保健所も点でしかなかった。それが、徐々に、点から、線につながってきた。そして、平成から令和になろうとしている、現在は、面として、広がってきた。やっとやっとである。これで、一人ひとりを漏らすことなく、セーフティーネットが張られたことになった。本当に道のりは遠かったけど、ここ大田市に於いても、実現できるようになった。しかし、実は、ここからが、大変なのである。ということは、当亀の子だけのことではないのです。それぞれの、関係機関の質の向上を図ることが大切なことなのです。勿論、ハードとソフトの充実が必要なのです。その事を思うと、当大田市も、やっと、スタートラインに立てたところですので、障がいを持つものも、持たないものも、赤ちゃんからお年寄りまでが、この大田市で暮らしやすい社会にどう展開していくか、大切なことなのです。そんなことを、思いながら、一人ひとりの生きる意味は、いったい何だろうと、頭をかかえます。何故、頭を悩ますのかと言えば、一人ひとりの人間が集まって「一人は万人のために、万人は一人のために」と、我が国も出来ています。一人ひとりの命の尊厳も、ちゃんと憲法に、基本的人権の尊重として、保障されています。

とても、気になるのは、「人として」一人ひとりが、生きている意味を、本当に知っているのだろうかと、最近とても、気になりだしました。20年前には、亀の子を立ち上げた時には、しきりに、「自分の人生の主人公は、自分よ」と言い、自己選択、自己決定、自己実現ですよ。例え自己チョイスして、失敗しても、自分の責任よ。と言っていました。何故そんなことを必死で言っていたかと言えば、あの頃は、自分の人生の主人公は、自分ではなく、人の顔色を見て、他人決定をしていたメンバーさんばかりでした。そして、自己決定しても、中々その自己決定の本当の意味も解せず、事なかれ主義が横行していました。私は、今になって、私は、あの時から、「生きる意味について」きちんと、話し合うことが大切だったのだなぁと、反省しきりです。でも、今からでも、大丈夫です。少しずつ話すことに致しましょう。