お早うございます❣️今朝も寒い😨ですね。

2019/03/16

今日は、亀の子 では、勉強会です。私は、皆んなにお任せしてお休みしています。勉強会の内容は「人権学習」です。昨年から大田市の人権擁護委員さん6名も、一緒に加わり、グループワーキング式で行うとの事です。具体的な内容も聞いてみました。「自分のいいところ、好きなところ」を、発見し、自分を好きになる。さぁ❣️どう展開するのか、楽しみに待つ事にします。と、言うのは、昨日のふぁみりわーくでも、15人中、自分が好きな人が4人だったのです。その中に、「僕は、今、病気をしているので、この病気が治ったら好きです」さてさて、と言うことは、私達は、案外、欲張りで、いつも、もっともっとと傲慢になっているのかもしれませんね。私は、お寺さんに嫁いで、もう古株になりましたから、身近に「禅語」が溢れています。

「少欲 知足」がよぎります。欲望を少なくして、身の丈で充分だぞ、己を知れよと、今ある事に感謝が生まれます。とすると、「病気が治ったら、好きです」は、これも、欲望の一つと言えるかも知れません。私は、ここが一番、「人として」の基盤になっているように思います。この生命は、「生命は奇跡で、死は必然なのです。」ならば、「生 老 病 死」は大宇宙の真理なのです。そして、人間は108つの煩悩を誰もが、持っています。持っていない人は、一人もいません。その煩悩は、我利我利亡者ばかりです。そのいい例が、子ども頃は、この我利我利亡者ですので、やんちゃ子がいっぱいいました。「あれが欲しい。これが欲しい。」と言って、買って貰えなかったら、道路の真ん中だろうと、ひっくり返って大泣きしていました。だんだん大きく成長して来ると、我利我利亡者が影を潜(ひそ)め、ものごとの分別がつくようになります。実は、この分別がつくのは、思春期を通過した頃から身につくのではないかなと、私は思います。実は、この私も、中学3年生の頃は、まだまだ未熟だったなぁと思い出します。

英語の単語テストを、私達のクラスの女子が全員で白紙で出した事件があったのです。その英語の若い先生にも、嫌がらせをしていたことがあったのです。中学3年生と言えば13歳から15歳です。思春期真っ只中でしたが、担任の先生、英語の若い先生の、寛容な対応により、あの時代を切磋琢磨してきました。そこで、養われたのが、ものごとの分別だったかもしれません。さてさて、大人になった私達は、我利我利亡者である事を自覚して、どう分別していくのか。そして、基盤となる、「自分を好きになる」が、「人として」「人間として」基礎である事を諦観しょう。