島根県母親大会が大田で開催されました。

2017/06/26

お早うございます。今朝も早朝散歩で~す。ホトトギスが鳴きだしました。ホタルブクロ、ウツボ草、オカトラノオも咲きだしました。野の花です。さり気なく咲いています。朝の太陽を浴びて、体内時計は、稼働し始めます。

さてさて、日々は刻々と刻まれて行きます。23日(金)は、しまねのお地蔵さま作品展に行ってきました。大田市のグループ名を石見銀山地蔵の会として、4名が参加した。私のふむふむ地蔵もおすまし顔で飾られていた。男性2名と女性2名で、みんなとても個性的なお地蔵様だった。主催者の坪内正史氏から「だいせん野の花工房」の谷悦子さまを紹介していただいた。なんと、その方は、私がお地蔵様を作ろうと、求めていた本の著者の方だったのだ。我が家へ帰りその本を見つけたが、もうびっくりだった。その方は、もともと石彫をしておられたが、腱鞘炎になられ、陶の童地蔵を作っておられた。私はそれをきっかけに、「ふむふむ地蔵」を作ることになったのです。本当に不思議なことです。これもご縁なのかもしれませんね。いつか、大山へ出かけてみたいなぁと思っています。そして、24日(土)の朝方に無農薬野菜を手掛けておられる三谷家へ向かいます。旧家です。尼子氏の家紋の蔵があります。素晴らしい畑が広がっています。もう!うっとりです。自然と人の営みが感じられ癒されます。

サニーレタス、レタスに、白かぶに、水菜に、キュウリをいただきました。そして、その足で、私の中学時代の友の旧端本旅館に行きます。その彼女は、横浜に住んでいるのですが、私がこの福祉事業をしているので、自分のお里の旧端本旅館をなんとか有効に活用できないかと相談を持ち掛けられていた。大田の中心街の場所に建っている。彼女の案内で、建物を見せてもらった。仏間には驚いた。一間の間口の仏壇はそれはそれは、素晴らしいものだった。どうも先代は、お寺の三男坊で、大正7年に、この地にこの家を建てられたようだ。その時に、この仏壇を安置されたようだ。そして、大正13年に大田市駅(当時は石見大田駅)を現在の地にご尽力された方だったとも聞いた。また、隣の地に裁判所があり、その役員さんを泊めるためにと、当時の島根県庁から要請されて、端本旅館にされたとか聞いた。そして、いまこうして残っているあの当時の建物は、もう、この界隈では、この旧端本旅館が一軒になってしまった。と、残された家族も、この建物を大田市の為に、有効活用していただければ、先代たちも偲ばれることだと思うと話された。まぁ!時間をかけてゆっくり考えることにしましょう。