雨竹風松皆得禅、うちくふうしょうみな禅と説く。

2017/05/17

お早うございます。内田さんに表装をお願い致していましたら、本日届きました。禅語の掛け軸です。雨に濡れた竹になれ、風に揺れる松になれ、皆これ禅の大説法なりとか。いやはや、天地いっぱいの真理、宇宙観を感じます。小さなこだわりを捨てて、堂々と生きよ。と、諭されているようです。今日のお気に入りのブログから大万木山(おおよろぎざん)の山野草です。山頂辺りのブナ林に、その花は咲くという。世にも不思議な神秘な花、極楽浄土に咲くのかも。ハスのことを荷葉(かよう)といい、山のハスという意味で山荷葉という。その真っ白い花は、風流なかたまりのようだ。弱い雨に濡れると、だんだん半透明になり、ガラス細工のようになる。とても幻想的でその美しさは幸せな気持ちにしてくれる。花言葉は、「親愛の情」と「幸せ」と、親しい人を大切にする気持ちとか。なんか、そう思うと、この自然界の中で生きている我々は、この地球に生きている我々は、つべこべ言わず、一人残らず仏の命を宿して、今を輝いているのではないかと、思います。しかしです。今、こうして生きている我々、人間は、そんな大きな大自然の中で生かされている命なのに、「大方の人間様は、気づきもしないし、例え気づいたとしても、「他人事」なのだ。」どうしてなのだろう。一体どうしたらいいのだろう。そこで、私は「いったいどうしたもんじゃろうかのう」と、頭をひねる。何のことはない。この私が、本日ただ今、気づかせて貰えたなら、まず、自分から姿勢を正して、生きていけたらなぁと、思っています。