親和会の総会でしたよ。

2017/04/20

今朝も散歩できました。美しい鳴き声で鳴く鳥を見つけました。じっと見つめると、二羽のキビタキでしょうか、お腹辺りが黄色です。黒い羽根に白が混じっています。里山の春を謳歌しています。ワラビもニョキニョキと、うふふ。いただきますね。そして、我が家です。いつもと変わらず、新しい今日が始まりです。そして、朝礼が始まります。10時からは、平成29年度の親和会総会が防災センターで始まりです。

今日は私の方から少し質問形式でお話を伺っていきました。というのは、平成生まれの方達が、太平洋戦争のこと、終戦はいつなのかを知らない人が多く、どうしたもんかと、訊ねることでした。特に親和会さんの中で、終戦前に生まれた人は、どなたですかと訊ねましたら、清水会長と、松原さんのお二人でした。お二人とも、終戦の年は、小学校4年生でした。松原さんは、自宅のラジオで玉音放送を聞いた覚えがあります。と、清水会長は、「僕は、あの終戦の年の前年に、父親が兵隊に行き、終戦後ロシアに捕虜になって、僕たちの生活は大変だった。栄養失調もいっぱいいた。父親は3年後に帰ってきたけど、栄養失調で病院通いだった。僕は中学1年生だった。」そこで、また他の質問をしてみた。松原さんは、何時頃結婚されましたかと、どんなふうに結婚式がありましたか?

「はい。私は昭和30年に、宝泉寺さんの仲人で、長久町から鳥井町へ行き、自宅でお昼に結婚披露宴がありました。あの当時、だいたいの家は、提灯を灯してお迎えがあり、夜に披露宴が有りましたよ。私は紋付を着ましたね。旦那は、紋付と袴で正装でした。」私は二十歳でしたね。では、清水さんはいつ結婚式をされましたか?

「はい。僕は昭和39年に、大阪の鐘紡の会社に居ましたから、そこで、家内と大恋愛で、家内は京都の丹後うまれでした。桜ノ宮会館でしましたね。僕はタキシードで家内は振袖でした。」ごめんなさい。大恋愛は私が書かせてもらいました。うふふ。でもでも、どなたも青春時代があったことは確かですので、素敵なことです。

そして、清水さんも松原さんも、それぞれに3人の「宝もの」をこの世に送り出していただきました。

その宝物のお蔭で、こうして皆様とお会いすることが出来ました。いいご縁をいただいたと思います。

だから、お母さま方、お父さま方、おじい様、おばあ様方、どうぞ、昔のお話をしてあげてくださいね。

すると、平成生まれの子供たちも、きっと、こんなに素敵な日本に僕達は生まれて来ているのだと気づくことが出来るでしょう。先人たちが沢山のご苦労を重ねて今の日本があることがきっと分かってくれることでしょう。

大丈夫、日本人のDNAをみんなが受け継いでいますよ。