今日も、不思議なご縁をいただいて、生きているっていいなぁに気づかせてもらった。

2021/04/08

この間、小学校のお友達のお庭拝見に行ったときのことです。玄関の上がり框に、50号の絵画が飾ってありました。私は驚いて、どうして、安藤於登美さんの「絵」がここにあるのですがと、問うと、その友は「あら! 私の於登美伯母さんの絵なのよ。」「我が家の本家筋なの」我が家は「分家でね。」へぇー。と、ビックリ・ポンでした。というのは、安藤於登美さんの「絵画」は、大田市役所にも展示してあります。大田市民会館にも展示してあります。あすてらすの女性センタ―にも展示してあります。そんな有名な方の絵画が、友達の家に有ったもんだから、とても驚いたところでした。一緒に行った友達は、絵のことには、あまり関心がなかったようです。ここでも、私の興味が惹きつけたのだと思われます。玄関に飾ってある「七福神さん」の絵と、絵手紙も飾ってあり、「竹の子」が描いてありました。それは、友達の妹さんが書かれたものでした。そして、不思議なことに、99歳のお母さまが、普段から、「昔語りをお孫さんにしておられ、友達が小学校の頃に、自転車に乗って、大田の中日っあんに出かけた。お母さまを後ろの荷台に乗せて、小学校の友は、男自転車の棒の上に腰かけ、お母さまは、下の赤ちゃんだった妹を負んぶして、その前に保育園の妹を載せて、家族5人が乗って、お父さんが自転車をこいで楽しかったよ。」と、いつもいつも、お孫さんに語っておられたとか。すると、その孫から、おばあちゃんにプレゼントと言って、絵を描いてくれたのよ。と、見せてくれた。これまた、ビックリ・ポンだった。 あぁ。やっぱり、絵が上手い家系なのだなぁと、感心しました。

そして、家に帰りつくと、その彼女からラインが来ました。すると、安藤於登美さんは、小倉遊亀さんの弟子でしたよ。だから、あのタッチが似ているでしょと、送ってきました。そこで、私は、またまた、驚きました。実は、社会福祉法人亀の子を立ち上げ、次にと、福祉工場を計画し建築しました。名称を何にしようかと思案していました。川本にある亀遊邸をいただいて、亀遊館にしようかとも考えましたが、それは、川本は近くだしね。私は小倉遊亀の「絵」が大好きでしたので、じぁ。福祉工場の名称は「遊亀館」にしようと、決めたのです。字の配列も、丸の〇、三画の△、四角の□と、しました。要するに無限大だよ。という事です。

うふふ。このことを「ご縁」があるという事ではないかなと、秘かに思っています。「念ずれば花開く」も、うふふ。何も関心がなければ、この「ご縁」は、気づかずに、通り過ぎていくことなのでしょう。うふふ。お蔭さまにて、七福神の神様に導かれて、とても幸せな気分になるのです。有難い事でした。