春の光って、暖かくって、爽やかな光に包まれているように思いませんか。

2021/02/22

私は、この如月の頃の光って、なんか、スポットライトが当たったように、小さなものまで、光輝いて見えませんか。昨日の朝食を済ませて、朝食のお茶碗を洗っていました。我が家の流しの上には、可愛い小物を飾っているのです。真っ白い棚なのですが、傘をさしたカエルさんと、ガチャガチャで、孫とゲットした亀さん三匹と、兎さんのカップに菜の花を活けて、その横にも箸置きの亀さん三個と粘土をコネコネして、丸・三角・四角をかざっています。硝子窓を明けると、春の光が当たって、その小物たちは輝いて見えます。私は、思わず、素敵だなぁと思い、写真に撮ります。「あぁ !! 幸せ」と、感じます。そして、直ぐに、お友達に、小さな幸せを、ラインで配信します。  何でもないことなのですが、「肉体の喜び」には、前五識と言って、身識・舌識・鼻識・耳識・眼識があります。五感ともいいますね。目も良く見えて、耳もよく聞こえて、鼻も匂いを感じて、舌も美味しいご馳走も味わうことができますし、身もぴちぴちと元気いっぱいですし。しかし、人間は「生・老・病・死」で避けることができませんね。この前五識も年を重ねれば、みんな衰えて行きます。歳を重ねて行けば避けては通れないことです。しかしです。「心の喜び」は、どんなに年をとっても変わらない喜びがあります。私は、そうかと、合点です。どうも、年を重ねると、今までの人生で、辛い事、悲しい事、涙したこと、苦しかったこと、みんなみんな、許せるようになってきています。苦しい事があったからこそ、悲しみがあったからこそ、大泣きして涙をいっぱいこぼしたこと、みんなみんな、そのすべてを乗り越えてきたからこそ、見えてきた人生が、明るい一筋の光になっていることに気づくのです。そうすることによって、その長い人生の道のりがとても愛おしく懐かしい道のりだったと気づくのです。「あぁ。生きて来て良かった。生まれてきて良かったと、しみじみと、自分を愛おしく抱きしめてやることが出来るのです

それは、歳を重ねてきたからこそ、味わえるものだと思います。それが、「心の喜び」なのではないでしょうか。

だから、歳を重ねてきた人ほど、小さな幸せも、有難いなぁ、感謝だなぁと、手を合わせることが出来るのではないかなぁと、思います。